おすすめ度
キット ♤ 3.5 ★★★☆
アイラ ♡ 4.0 ★★★★
ブエノスアイレスに暮らすアブラハムは88歳の頑固爺さん。折り合いがいいとはいえない娘たちが、自分を高齢者用の施設に入れようとしていると知って一人家を出る。その目的は、故郷ポーランドをめざし、かつて再会を約束した友人に自分が仕立てたスーツを届けることだった。第2次世界大戦中、その友人はアブラハムをナチスの追手から匿ってくれた恩人だった。旅の途上、アブラハムは災難に遭いながらも親切な人々の助けを受けて目的地をめざしていく。監督は、アルゼンチンの人気脚本家でこれが2本目の長編監督作となるパブロ・ソラルス。
言いたい放題
アイラ♡ ナチスによるユダヤ人迫害という土台は存在するものの、そこを深く掘り下げることはせず、家族に愛想づかしをした爺さんの一人旅を追いつつ、助け合いながら人は生きているということをしみじみと味あわせてくれる作品。軽いコメディタッチの前半から、シリアスさを増していく後半へという作り方もよかった。
キット♤ 冒頭はアルゼンチンのブエノスアイレスが舞台。主人公のアブラハムは、娘や孫たちに囲まれて暮らしてるけど、あまり幸せそうには見えない。どうやら足を悪くして、住み慣れた家を離れて老人ホームに入れらそうになっている様子。娘たちは家を処分したあとの財産分割にばかり関心があって、父親のことをほとんど気遣わない。孫娘にいたっては、家族の記念撮影に加わることを条件に、アブラハムに最新のiPhoneをねだる交渉を仕掛けるありさま。気の毒やなぁと思っていると、さにあらず。アブラハムはこのちょっと小狡い孫娘の利発なところが気に入っていて、怒るどころか褒めて気前よくお金を出してやる。この短い場面だけで、お金を節約したり稼ぐことには頭を使うが、必要と考えれば使うことを厭わないユダヤ人的な金銭感覚と性格がわかるし、アブラハムにもある程度の金銭的余裕があることも示される。こういう演出は上手いな。
♡ で、アブラハムはというと、老人ホームへは行かず、家族に何も告げず一人旅に出てしまう。それもブエノスアイレスからマドリッドへ飛び、パリを経由してポーランドのある街へ。ポーランドこそはアブラハムが少年時代を過ごした場所。そこには戦争中、ユダヤ人であるがゆえに迫害されていたアブラハムを助けてくれた友人がいて、自分が仕立てたスーツをその友人のもとへ届けに行くのが彼の目的だった。
♤ ここからロードムービーになっていく。彼は旅の途中のトラブルで所持金を失ってしまうけど、飛行機で知り合った音楽青年、マドリッドのホテルの女支配人、文化人類学者の女性、ポーランドの看護婦など、次々と彼を助けてくれる人が現れる。都合よく次々と支援者が登場してくるのは不自然ではあるけど、リアリズムを追求する作品ではないしな。金を盗む悪いやつもいれば、良い人もいるという形式的な対比の上にアブラハムの物語を展開していると思えばよいのだろう。面白いのがマドリッドのホテルの支配人。十分お金を持っているのに宿代をセコく値切ろうとするアブラハムをやり込めるシーンは気に入った。
♡ 悪いこともあればいいこともあるという繰り返しは、あたかも塞翁が馬のごとしで、話の本筋とはほとんど関係ないことばかりながら、世の中は捨てたものじゃないという含蓄を添えて物語を豊かにしている。
♤ アブラハムがなぜポーランドへ向かおうとしているのかは、場面が何度も彼の少年時代に切り替わることで次第に明らかになっていく。それもただ回想シーンを挿入する方法ではなく、アブラハムの夢の中の場面といった形を取っているところに工夫があるな。
♡ ロードムービーとなってからのキモは、アブラハムがドイツの地だけは何があっても踏みたくないとゴネまくるところ。結局はそうも行かず、パリを出た列車はドイツ国内を通過してポーランドへ向かうのやけど、ドイツに入るあたりから彼の様子に異変が生じる。隣の車両に移るとドイツの将校が酒盛りをしていたり、コンパートメントに貧しいユダヤ人家族がいたり、戦争中の幻影が頭のなかを交錯してついには昏倒してしまう。想像やけど、アブラハムのように大戦後にヨーロッパから南米に移り住んだユダヤ人たちは、移住先の陽気な空気の中で過酷な過去やナチスへの憎悪を脳裏から消し去り、人生を再スタートさせてたのやろね。それでも、70年を経てもなお、ドイツの地を通過すると考えるだけで全身がそれを拒否してしまう・・・。そう思って観ると、親切な人々がアブラハムの旅をバトンをつなぐように見守り続けていくという心優しさは、本作の重要な救いでもあるわね。
♤ ラストは少し都合よくいきすぎかなという気もするけど、そこをどうこう言うべき作品ではない。
♡ 原題の「El ultimo traje」は「最後のスーツ」という意味らしいけど、ポーランドこそ自分の居場所と考えるアブラハムの物語なのだと思えば、この邦題も決して悪くはない。脚本と監督をつとめたパブロ・ソラルス自身、大戦後にアルゼンチンに移り住んだユダヤ人家族の出身とのことで、自分のアイデンティティを確認するために避けて通れないテーマだったと言っているのだそう。重くなりがちなテーマを堅苦しさ抜きに描いたことで、かえって味わいの深さを残した佳作。
予告編
スタッフ
監督 | パブロ・ソラルス |
脚本 | パブロ・ソラルス |
キャスト
ミゲル・アンヘル・ソラ | ブルスティン・アブラハム |
アンヘラ・モリーナ | マリア |
オルガ・ボラズ | ゴーシャ |
ユリア・ベアホルト | イングリッド |
マルティン・ピロヤンスキー | レオナルド |