おすすめ度
キット♤ 4.0 ★★★★
アイラ♡ 4.5 ★★★★☆
自らの居場所を模索する少年の苦悩を、小学生時代、ハイスクール時代、そして成人後の3つの時代構成で描く。2017年のアカデミー賞作品賞、脚色賞、助演男優賞の3部門を受賞。マイアミの黒人居住区で暮らす内気な少年シャロンは、学校でいじめられ、ドラッグ中毒の母親にも満足な養育を受けられないでいた。そんなシャロンに、麻薬ディーラーのフアンと唯一の友達ケヴィンだけは親身に接する。10代半ばになり、ゲイであることを自覚するシャロンだったが、黒人コミュニティの中で受け入れられるものではない。学校でも執拗ないじめが続くなか、ある日ひとつの事件が起きる・・・。母親ポーラにナオミ・ハリス、麻薬ディーラーのフアンにTVドラマ『ハウス・オブ・カード』のマハーシャラ・アリ。アカデミー賞受賞作『それでも夜は明ける』などをも手がけたブラッド・ピットが製作総指揮。バリー・ジェンキンス監督は本作が長編2本目となる。
言いたい放題
アイラ♡ こういうアメリカ映画もあるんや…という思いで観はじめて、ラストに至って、いま生まれるべくして生まれたアメリカ映画という印象に落ち着いた。うまくいえないけど、ハリウッドの巨大資本は決して手を出さないけれど、アメリカの確かな“いま”の切片を見せてるという点で、低予算でも心に染み入ってくる力のある作品。70年代のアメリカン・ニューシネマにも同じような力があったけど、違うのは、叙情的でしっとりとした映像美が画面の隅々にまで行き渡っているところよね。丁寧に綴られた短編の文学作品のようやった。
キット♤ ハンディカメラで撮ったような斬新なアングルと、色彩のきれいさは始まってすぐに感じたな。大勢の子どもたちが走るシーンはブレまくりやし、奥行きの手前部分にだけフォーカスを合わせて後ろはボカしてたり、カメラをパンさせて大勢を写していったり、安い機材を使いながらそれを逆手にとった新鮮さがあった。それでも画面が安っぽくなっていないのは色に気配りされているからやろな。撮影後のポスト・プロダクションで明るい部分を飛ばしたり、影の部分に青を入れたりなど手作業で調整したらしい。
♡ カラーリストっていう役割の人がいて、撮影後の映像にデジタル処理を加えてあるのやてね。黒人の肌に青い色を重ねて美しさを強調するとか、日光の反射をよりキラキラさせるとか。でも加工品のような嘘くささがまったくなくて、物語に良い陰影を与えてたと思う。
♤ 物語のほうは、主人公のシャロンの小学生時代、ハイスクール時代、そして成人後の3パートに分かれていて、ポスターは3人の俳優の顔を合成したもの。第1部と第2部は、マイアミのリバティ・シティという住人の大半が黒人という地区が舞台で、貧しく犯罪の多い地域であることは匂わされるけど、どろどろしたシーンを描くことはしてない。
♡ それどころか、子どもたちが新聞紙をまるめただけのサッカーボールを追うシーンでは、背景に流れるのはモーツアルトのコンチェルトなのよね。その違和感のなさにはすっかり意表を突かれたわ。全編通してどぎつい描写はないのに、伝えるべきものは伝わってくる。うまいと思ったわ。
♤ 映画の原案は『In Moonlight Black Boys Look Blue』という戯曲で、作者のタレル・アルバン・マクレイニーがこの地域出身の黒人で自らもゲイ。バリー・ジェンキンス監督も同じ小学校の出身で、いずれも母親がヤク中で養育放棄状態だったという共通点があるということなので、半ば自伝的要素も持ってる。
♡ そう考えると、全体を貫くひりひりした感覚と叙情的な画質のマッチングもよくわかってくる気がするよね。
♤ 脇役もええよな。シャロンの母親ポーラ(ナオミ・ハリス)はヤク中で売春で生計を立てているような親。養育らしいことはせず、男を平気で連れ込むし、オカマ扱いされてる息子を持てあましてる。シャロンは学校ではいじめられ、家にも居場所がない。ナオミ・ハリスはこの数年でも『007シリーズ』『サウスポー』『われらが背きし者』『素晴らしきかな人生』などでいい仕事をしてるけど、本作では汚れ役。
♡ イギリス人やし、どちらかというと知的で凛とした役が多かったから、フロリダのヤク中おかん役としてはもうちょっとぼろぼろ感があってもよかったかなぁという気もする。アカデミー助演女優賞は逃したけど、これで役の幅は大きく広がっていくやろね。
♤ 何といっても見逃せないのは、シャロンに父親のように接していくフアンを演じたマハーシャラ・アリの存在。ヤクの売人の元締めみたいな男やけど、他人に心を開かないシャロンが気になり何かと世話を焼く。シャロンの母親を含めヤク中の破滅に手を貸している一方で、身内の者には人並み外れた親身さをみせる矛盾した人格やけど存在感はめちゃくちゃあり。第1部だけの出演ながら、アカデミー助演男優賞には大いに値する。最近では『ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男』、あとTVドラマ『ハウス・オブ・カード 野望の階段』でのロビイストのレミー・ダントン役の印象が強い。今後ブレイクしていきそうやな。
♡ シャロンに泳ぎを教える場面は味わい深かったよね。観客も一緒に海に浮かんでいるような、水面ぎりぎりで間近から撮るカメラワークにも、2人の信頼関係や親子のような愛情が感じられて珠玉のシーンやったと思う。
♤ その後の第2部、第3部とも、シャロンとその友人であるケヴィンとのつながりが重要な軸になっていくわけやけど、第3部ではシャロンの変身ぶりにまず誰もが驚く。フアンと同じく、ドラッグ売人の元締めとして成功してはいるが、言い換えればストリートから抜け出せていない。配下の者にもずいぶん高圧的に接していて、フアンが身内には親身に接していたのと正反対。フアンと同じようなキャップを被っていても、内面的にはフアンの人徳でもあった他人への包容力や優しさを持つには至っていないんやな。他人に心を開くことができないまま成人して、それだけ唯一心を許せたケヴィンへの思いがより強まっていたのかもしれない。
♡ シャロンを演じた3人の顔立ちはぜんぜん似てないのよね。ひょろひょろに痩せて、「泣きすぎて水滴になりそう」なんて言うてたシャロンが、第3部ではマッチョで強面の男に大変貌。ストリートで力を見せつけるため、筋肉質の大きな体という鎧は身につけたけど、中身は何も変わってない。監督は、外見ではなくて「目」に共通のものを持つ俳優を探したと言ってるけど、それは終盤に行くほどよくわかる。
♤ ゲイの話、LGBTの映画という喧伝のされ方やけど、バックボーンは自らのアイデンティティ。友達にオカマと呼ばれ、周囲から否定されまくって苦しむシャロンに、フアンが「ゲイだとしてもオカマとよばせるな」「自分の道は自分で決めろ、周りに決めさせるな」などと言ってきかせる。奇しくもこの言葉は後のシャロンの生き方にもつながっていく。
♡ 今回、大好きなシーンが3つあって、ひとつは小学生時代。フアンと海に行くときやったか、車の窓から腕を出してふわふわと上下させるところ。いつも無口なシャロンの嬉しい気持があの右腕に集約されてた。2つめは高校時代。ケヴィンと浜辺で過ごして別れるとき、さっきまで自分に触れていたケヴィンの右手に何度か視線をくれるところ。ここ、めちゃくちゃ切ない。3つ目は、シャロンのためにケヴィンがキッチンで料理を作る場面。大切な人のために料理に作るときの手の動きにはうっとりしてしまった。それほど繊細に作られた作品ってことやと思う。
♤ アカデミー作品賞はやっぱりこっちやな(笑)
♡ 私たちには、黒人であること、極貧であること、ゲイであること・・・などによる辛さを同次元で理解することができないから、根っこまで感情移入するのが難しい作品ではあるけれどね。一説では、アメリカの黒人男性は、外面を強化することを周囲に対する最大の防御としてきたところがあって、そんなコミュニティでゲイとして生きるのはすごく難しいことらしい。それだけに、シャロンが強面の外見の下に切ない感情を押し隠し続けてきたことに気持が揺さぶられるんやと思う。タイトルに回帰するラストの青い光は忘れられない。
予告編
スタッフ
監督 | バリー・ジェンキンス |
脚本 | バリー・ジェンキンス |
原案 | タレル・アルビン・マクレイニー |
キャスト
トレバンテ・ローズ | シャロン(ブラック) |
マハーシャラ・アリ | フアン |
ナオミ・ハリス | ポーラ |
アンドレ・ホランド | ケヴィン |
ジャネール・モネイ | テレサ |
アシュトン・サンダース | シャロン(16歳) |
ジャハール・ジェローム | ケヴィン(16歳) |
アレックス・ヒバート | シャロン(リトル) |