レビュー

ファントム・スレッド(Phantom Thread)

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Phantom Thread

キット ♤ 4.5 ★★★★☆
アイラ ♡ 4.0 ★★★★

『マイ・レフトフット』『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『リンカーン』で3度のアカデミー主演男優賞を得たダニエル・デイ=ルイスの最後の出演作。ポール・トーマス・アンダーソン監督とは『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』以来2度目のタッグとなる。舞台は1950年代のロンドン。王室はじめ上流階級に顧客を持つレイノルズ・ウッドコックは、自らの作品を完璧に表現する女性の身体にしか関心を持つことがなく、ウェイトレスとして働くアルマを新たな表現者として自らの世界に招じ入れる。しかし彼女は単に従順なモデルではなかった。2018年アカデミー賞で作品賞、主演男優賞はじめ6部門にノミネートされ、衣装デザイン賞を受賞。

 

言いたい放題

キット♤ 1950年代のロンドンが舞台。成功したオートクチュールのハウスのオーナーでありデザイナーのレイノルズ・ウッドコック(ダニエル・デイ=ルイス)、その姉でハウスの実務を仕切るシリル(レスリー・マンビル)、レイノルズがモデルとしてスカウトした元ウェートレスのアルマ(ビッキー・クリープス)の3人が主要登場人物。観終えて気づくのやけど、脚本が実に周到に計算されていて、主要登場人物のキャスティングと演技、監督の演出、すべてにおいてよくできている。2018年のアカデミー賞には作品、監督、主演男優、主演女優、作曲、衣装デザインの6部門でノミネートされ、衣装デザイン賞のみの受賞となったけど、個人的には監督、主演男優、主演女優は受賞してもおかしくなかったと思うほど。

アイラ♡ まず冒頭のつかみがいいよね。オートクチュール専門のハウスという舞台、熟練の職人だけが可能にする繊細な針仕事、場面を優雅な空間へと広げていく音楽・・・。開始早々からうっとりするシーンが展開され、観る者の気持ちがどんどん盛り上がっていく。そしてレイノルズの人となりが紹介され、アルマと出会い、てっきり彼女がレイノルズの『マイ・フェア・レディ』となっていくのかと思いきや、そんな予想はやすやすと裏切られる

♤ レイノルズはかなり変わったタイプの人間。冒頭のドレスを完成させるプロセスで、彼の天才性、神経質でエゴイスティックなところ、社会性が欠落しているところを浮き彫りにする。同時に、レイノルズの足りないところを補い、影となって実務を仕切るちょっと不気味な姉シリルが実はレイノルズを支配しているのではとまで思わせる。

♡ 起床すれば時間をかけて完璧に身繕いをする神経質さ。朝の食卓でさえぴりぴりした空気を撒き散らす身勝手さ。それ以上に、それを100%わかって受け入れている姉の存在感の大きさともあいまって、その後の展開へのさまざまな不安と期待を抱かせる。

♤ レイノルズがかつてモデルとして連れてきたと思われるジョアンナに既に飽きていて、いらいらの種でさえあるのを見たシリルが彼女をドレス1枚でお払い箱にすることで、この姉弟が同じことを何度も繰り返してきたこと、モデルとして一時重用しても愛情の欠片も感じていないことを暗示する。こういう演出は上手い。

♡ そこへ登場するのが、街のレストランでウェイトレスをしているアルマ。平凡な顔立ちで特に魅力もなく、立ち居振る舞いもがさつ。しかし自分の作品にとって理想的なプロポーションの持ち主であるアルマにレイノルズは強く惹かれてしまう。アルマは当然のようにロマンスを期待するのやけど・・・。

♤ レイノルズは彼女の人間性や内面にはまったく関心がなく、観客にもいずれアルマも飽きられるんだろうと思わせる。ところが、どっこい、このアルマが曲者で、彼女によって話は大きく動いていく。

♡ 変わることのないレイノルズに対して、アルマが変わっていくさまが一番の見どころやね。従業員に混じっていれば背景に溶け込みそうなくらい個性も薄いのに、ひとたび彼のドレスを身に纏うと、ほぼノーメイクでジュエリーも身に着けてないのに燦然たるオーラを放ち出す。性格的には意見をはっきり言うタイプで、決して従順ではない。一定のポジションを獲得するや、王室の人間にもライバル心を平気で見せるほどの勝ち気さ。手が届きそうで届かないレイノルズの愛を得るために、彼女はレイノルズの弱点を逆手にとることを思いつく。

♤ 原作、脚本のうまさは、後で生きてくる伏線が巧みに仕込まれていること。レイノルズがバターが嫌いなことは早い段階で料理人がアルマに話すが、アルマがレイノルズのために料理する2回のシーンでこれを利用する。きのこ狩りの場面もあとで関係してくる。冒頭でレイノルズが入念に髭を剃るシーンを入れているのも、寝込んだときの無精髭との落差として効いてくる。

♡ 自分で丹念に靴磨きをする場面もそうやわね。3人それぞれのキャラクター設定にも不自然さがまったくない。

♤ ただ2人が結婚して、再び仲がこじれてそこでもう一捻り・・・というところまで複雑にしなくても、結婚したところで終わらせてもよかったように思ったけどな。結婚などする気のないレイノルズに求婚させ、OKするまで気をもたせて完全に立場逆転して力関係を見せつけたということで充分だった気がするけど。

♡ たぶんそこはアルマのダメ押し点なのでしょう。完璧主義で人を受け入れないエゴイストのレイノルズやけど、実は亡き母への強い思慕がある。献身的な看護は、レイノルズに彼の一番欲しいものを与える行為で、それを繰り返すことはアルマにとって勝利への重要な階段やからね。ここは手抜きなしよ!

♤ いろいろな解釈のできる作品と思うけど、個人的にはレイノルズが繊細で美しく、上品で貴族的な華やかさ、現実から逃避し、衰退しつつある弱々しさを体現するのに対して、アルマは現実的で今風、ガサツで品はないけど、生き延びる力強さを体現していて、後者が前者を凌駕していくということと感じた。

♡ 姉のシリルもそんな彼女を実は気に入っていて、アルマのやることを邪魔立てしてない風やったしね。アルマを希求するようになるレイノルズの変化はすんなりとは理解しにくいものがあるけど、狂気じみた愛憎を描くのって『レベッカ』や『嵐が丘』にも通じるイギリス文学のひとつの系譜。そう考えると、本作の一筋縄ではいかない2人の関係もどこか腑に落ちてくる。

♤ アカデミー主演男優賞3回受賞の名優ダニエル・デイ=ルイスはこれをもって俳優業からの引退を宣言。出演作を選んで役作りに没頭するデイ=ルイスの神がかった演技はある意味予想の範囲やったけど、アルマ役のビッキー・クリープスにはちょっと驚いた。典型的な美人やないけど、意外に頑張っていてデイ=ルイスに圧倒されることなく印象に残る演技をしている。姉役のレスリー・マンビルは、正面から見ると黒目だけで白目がほとんど見えない不気味な表情だけで存在感あり。ヒッチコックの『レベッカ』に出てくる怖いダンヴァース夫人を連想した。

♡ 私はやっぱり、豪華なドレスがハウスの職人たちの手から生み出されていく数々の場面が印象的。そのなかで展開される驚きの物語との対比が本作の価値を揺るぎないものにしてる。

♤ サスペンス・ドラマとして5年後、10年後でも思い出される映画になるような気がする。

 

予告編

スタッフ

監督 ポール・トーマス・アンダーソン
脚本 ポール・トーマス・アンダーソン

 

キャスト

ダニエル・デイ=ルイス レイノルズ・ウッドコック
ビッキー・クリープス アルマ
レスリー・マンビル シリル
ブライアン・グリーソン ロバート・ハーディ医師
カミーラ・ラザフォード ジョアンナ
ジーナ・マッキー ヘンリエッタ・ハーディング伯爵夫人

 

レクタングル336

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