おすすめ度
キット ♤ 4.0 ★★★★
アイラ ♡ 4.0 ★★★★
フィンランドの名匠アキ・カウリスマキ監督が、『ル・アーヴルの靴みがき』に続いて難民問題をテーマに描いた作品。2017年ベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞。内戦を逃れるうちに妹と生き別れてしまったシリア難民の青年カーリド。流れるようにヘルシンキにたどり着いたが、難民申請は受け入れられず途方に暮れる。人生をやり直そうとしていたレストラン経営者のビクストラムと出会い、彼の店で働くことになるが・・・。優しい手を差し伸べる人々、憤懣をぶつけてくるネオナチのような人々など、カーリドをとりまく人々を通して、カウリスマキ独特のタッチでヨーロッパが直面する難民問題を描く。
言いたい放題
アイラ♡ どこかほっこりとした味わいのあった『ル・アーヴルの靴みがき』よりも、だいぶ社会問題に切り込んだ作品という印象。とはいえ、独特のテンポ運びや、シリアスさと背中合わせのユーモア、書割のような色彩感覚など、カウリスマキ独特のイカれた感じが研ぎ澄まされて、一切の無駄のない仕上がりやったと思う。
キット♤ 主人公のカーリドは、シリアから戦乱を逃れてフィンランドに辿り着いた難民。彼を取り巻くのは、難民申請を却下して国外退去させようとする公務員、人種的偏見で暴力を振るうネオナチ、そして援助の手を差し延べる普通の人たち。特に、酒浸りの妻と別れてレストラン経営で人生をやり直そうとするビクストロムの仏頂面に隠された優しさがいい。
♡ そこがカウリスマキ監督が難民たちに寄せる目線であり、ビクストロムたちのよきサマリア人的善意も、監督からのメッセージと受け取ることができそうやね。
♤ 始まって10分間くらいはセリフがない。喋り出してからもセリフは少なめで、その内容も朴訥と言ってよいくらい簡潔でダラダラ話さない。これが一種独特な世界観を作っている。カウリスマキ監督は、あるインタビューで「私は昔はシナリオライターで長いセリフを書いていた。それがだんだんと短くなって音楽に置き換わっていった」というようなことを言っていたが、アメリカ映画だとこうはいかない。ヘルシンキの街も、カウリスマキの手にかかると煤けたような色合いと影の組み合わせで描かれるけど、それがここに出てくる普通の人たちとマッチしている。
♡ その色彩も、くすんだブルーと鈍いオレンジ色にほとんど集約されていて、舞台劇のような不思議な効果を出してるのよね。セリフについていうと、カーリドが難民申請するとき、それまでの身の上を係官に語って聞かせるのやけど、そこだけ長広舌なのが唯一の例外。
♤ それ以外はセリフを少なく簡潔にしてあって、ストーリーのほうも同じように無駄を削ぎ落としてシンプルなパーツにしてから組み上げたような感じ。その中に、カーリドが自分も困っているのに物乞いの老人に小銭をあげたり、所々に心温まるちょっとしたシーンが織り混ざる。
♡ 音楽もいいよね、アメリカの田舎に行けば聴けそうな、ロックとブルースとフォークが混じったような粋な曲が、パフォーマンスつきであちこちに挿入されるのやけど、ほとんどオリジナル曲らしいわ。店には不釣り合いなジミヘンの写真パネルが飾ってあったりして、ついつい画面のあちこちに込められた寓意を探ってしまいたくなるのもカウリスマキ作品ならでは。料理本を買う日本書店のウィンドウはもう一度じっくり吟味してみたい!
♤ ネオナチみたいなのを除いて、登場人物はみな優しい人々やねんけど、みな無表情で、レストランのウェイトレスでさえ無愛想。個々のセリフはたっぷり間が取ってあって、おかしな空気がそこらじゅうに漂ってる。レストランのテコ入れで寿司レストランに衣替えするところなど、アンバランスなくらい飛んでしまってるけど、登場人物の純朴さが現れてるな。
♡ 最後には妹とも再開を果たすカーリドなんやけど、ラストは曖昧に突き放したような終わり方。妹さえ幸せになれば自分はどうなってもいいというカーリドではあったけど、いったいどうなってしまうんやろう。悲しい結末を暗示するところもまた、カウリスマキ監督のメッセージなのかと考えると少しつらい終わり方ではありました。
予告編
スタッフ
監督 | アキ・カウリスマキ |
脚本 | アキ・カウリスマキ |
キャスト
シェルワン・ハジ | カーリド |
サカリ・クオスマネン | ヴィクストロム |
イルッカ・コイブラ | カラムニウス |
ヤンネ・ヒューティライネン | ニルヒネン |
ヌップ・コイブ | ミルヤ |
カイヤ・パカリネン | ヴィクストロムの妻 |
ニロズ・ハジ | ミリアム |
サイモン・フセイン・アルバズーン | マズダク |
カティ・オウティネン | 洋品店の女店主 |
マリヤ・ヤルベンヘルミ | 収容施設の女性 |